パラドクス

連続する世界を、ひとつの世界で説明する、相反して、ひとつの世界を連続する世界で説明する事にパラドクスがある

 

二分法

※有限世界(単位量の内界)は、表裏一体に、無限回(単位量の外界)に連続する=宇宙が稼働する原理。
※有限のみでは稼働しない
(存在しない)=無限のみに結果は出ない(存在しない)
※有限世界の内界で無限は説明できない=無限世界の内界で有限は説明できない
(有限と無限は表裏一体=ひとつのもの)

※無限に連続する分裂単位量の内界に結果量(質量という概念)が稼働する=無限に連続するあらゆる分裂単位量に無限は存在しない。

ある地点Aから地点Bоへ移動するためには、Aからの距離がABо間の距離の半分の地点B1に到達しなければならない。更にB1に移動するためには、Aからの距離がAB1間の半分の地点B2に到達しなければならない。以下同様に考えると、地点Aから地点B0へ移動するには無限の点を通過しなければならず、そのためには無限の時間が必要である。よって有限の時間で地点Aから地点Bоに移動することは不可能である。】

■有限世界:単位量(次元)の内界に相互作用量の始まりから終わりが同時に在る(単位相互作用量=結果量が生まれ出る)
■無限世界:単位量(次元)の外界は無限に分裂する結果が生まれ出ない)

ある地点Aから地点B0という有限世界(単位量)の内界で無限に半分の距離を設定できない(単位量の内界には最小単位量がすでに

在る=有限世界に無限を設定できない)。無限に有限世界(単位量)は設定できない(無限は単位量ではない)。ひとつの世界(次元

=単位量)に有限と無限は同時には無い(有限と無限は表裏一体に在る)

あらゆる単位量(今)は内界に単位量(過去=前提)を有し、外界の単位量(未来=目的量)に稼働する。そしてあらゆる単位量(有限)を稼働するために無限が在る。

※光の単位量(質量という概念の始まりから終わりまで=単位時空間量=同時)の内界に原子以降の概念は入り込めない。入り込めな

いから見かけ上の質量と虚空間量に確定できる(原子→分子→物体→生物という進化に連続する)。しかし無限の分裂に連続する光の単位量の相互作用を有する総体という宇宙は確定せず無いものと同じに在る。 

 

アキレスと亀

※分裂量に収縮(収束)しよううとも単位時空間量に変わりはない(今は今のみに在る=過去と未来との相対的な違いを比較できない)

【アキレスが亀の居た地点の到達した時には、亀はアキレスが到達するのに要した時間の分だけ先に進んでいる。いつまでたってもアキレスは亀を追い越せない】

■単位量の内界(有限世界):1回目の単位量の内界で、見かけ上の質量と虚空間量に確定→2回目の分裂量に収縮した単位量の内界で、見かけ上の質量と虚空間量に確定→3回目の分裂量に収縮した単位量の内界で、見かけ上の質量と虚空間量に確定する。しかし分裂に連続しようとも単位量という概念は普遍にあり、そこに相対的な違いはない(今は今のみに在る)。そして距離に確定の連続の積み重ねにアキレスはカメを追い越せる。

■単位量の外界(無限宇宙):1回目の単位量の内界で、見かけ上の質量と虚空間量に確定する→2回目の分裂量に収縮した単位量の内界で、見かけ上の質量と虚空間量に確定する→3回目の分裂量に収縮した単位量の内界で、見かけ上の質量と虚空間量に確定するしかし無限回(確定の連続の積み重ねはない=過去・今・未来はない=確定できない)を前提にすればアキレスはカメを追い越せない。

単位量(有限世界)でアキレスはカメを追い越せる、表裏一体に、非単位量(無限宇宙)でアキレスはカメを追い越せない=有限と無限が同時に存在できない概念世界でアキレスと亀の競争は存在しない。

すべては分裂に連続する単位量の世界であり、しかし宇宙空間をひとつの空間で完結していると仮定すればこのような矛盾が出てくる。そして仮に宇宙空間が、ひとつで完結し、その中にあらゆる物質があるとすれば、すべての物質は静止し宇宙の活動はない静止する宇宙=消失した意識量=ないものと同じに在る

 

飛んでいる矢は、止まっている

※連続の総体(同時に確定(静止する=認識=存在した)が在る、表裏一体に、確定(静止する=認識=存在した)の内界には連続の総体(同時)が在る。

光の単位量(質量という概念の始まりから終わりまで=単位時空間量の根源)は生物の感じる一番短い時間(同時=原子→分子→物体は入り込めない)に在る。光の単位量に完結(あらゆる見かけ上の質量と、表裏一体にある、あらゆる虚空間量に確定=物質と空間は固定されている)。そして生物(素粒子を根源に構成されるもの)は、光の単位量の完結の連続の積み重ねに、あらゆる存るものが速さを有していると思える。

素粒子を根源に構成される飛んでいる矢は、光の単位量の内界に完結(静止=同時)する。しかし静止する矢は、光りの単位(質量という概念の始まりから終わりまで)という根源的な単位時空間量の内界に確定以前は、見かけ上の質量と、表裏一体にある、虚空間量に確定しようとして同時(静止する)の内界に飛んでいる。

 

競技場(光の単位量の内界に時間と空間は分割される=光の単位量外界に時間と空間は分割されない)

※得た速さに変化する時間は光の単位量の内界に在る=光の単位量の完結の連続の積み重ねという物理的な力に得た速さに時間は変化しない。

※今に在る概念(次元)は更なる概念(次元)の内界に認識される=あらゆる違う概念(次元)を、ひとつの世界で説明できない

速さを有して時間が変化することは光の単位量(質量という概念の始まりから終わりまで=単位時空間量の根源)の内界(見かけ上の質量と虚空間量に確定しようとする)に在るもので、光の単位量に完結の連続の積み重ねという物理的な力に得た速さの世界で時間の変化は生じない。そしてあらゆる物体があらゆる速さと方向に移動しても物体どうしの相対速度に時間は変化しない。

宇宙(ひとつのもの)の内界に、素粒子(次元=概念)→原子(次元=概念)→分子(次元=概念)→物体(次元=概念)が同時に在る。素粒子(ひとつのもの)は素粒子の総体を、ひとつのものとして認識できない(素粒子どうしの相対的な違いを認識できない)。同じように原子(ひとつのもの)は原子どうしの相対的な違いを認識できず、分子(ひとつのもの)は分子の相対的な違いを認識できず、物体(ひとつのもの)は物体の相対的な違いを認識できない。そして更なる次元(概念=生物=人間)が自己(概念)の内界に物体(過去の次元)の総体をひとつのものとして、その相対的な違いを認識できる。

三つの球体が一体となっている物体(過去に在る概念)は、他の三つの球体が一体となっている物体を認識できず、それぞれの物体は一定の速さで、それぞれの方向に移動しているのみに在る。そして生物(人間=外界に在る概念)が複数の物体を、ひとつのもの(同時)として認識し物体の移動した位置の相対的な違いを認識する。しかしそれぞれの物体は最小単位の時間と空間の積み重ねで移動しているのみに在り、物体どうしの相対速度による時間の変化は無い。

※人間(概念)は生物を構成する前提である、分子→原子→素粒子(過去に在る概念)を認識できる。しかし素粒子→原子→分子は外界(未来)に在る生物という概念を認識できない。

仮に自動車レースがあるとする。レースカー(物質・物体)にとってはレースの始まる前は無い=レースの途中も無い=レースの終わった後も無い((自動車レースは人間という概念の内界に生まれ出た更なる概念)

そして人間はレースという概念の外界に在り、レースの始まる前から、レースの途中、レースの終わった後までも人間という意識の内界に認識することができる。

生物(今=内界=結果単位量=物質)は、表裏一体に、生物(今=外界=単位相互作用量=未来量と虚空間量)という到達すべき自己(単位意識量)の内界に、今に在る自己を認識できる。しかし人間(概念)を包括する更なる概念を知らず人間が何で在るかを知らない。そして人間は更なる概念(単位意識量)の内界に物体(過去という概念)として認識される。

 

シュレーディンガーの猫
※宇宙の内界に素粒子→原子→分子物体→生物に連続する進化単位量(次元)は同時に在り、しかし違う次元概念として在る。
【蓋のある箱の中に猫と放射性物質(ラジュウム)を一定量。そしてラジュウムが放出するアルファ波をガイガーカウンターが感知し、青酸ガスを放出する装置を入れる。1時間以内に原子核のアルファ破壊によりアルファ波を出す確率を50%とし、そして量子力学の確率解釈が猫の生死にまで影響を及ぼすとすれば、猫が生きている確率と死生んでいる確率は同じ50%という、生と死が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。しかし観測することのできない箱の中にあっても、猫の生死が重なりあっていることは奇妙な現象だ】

1次元(過去に完結した概念宇宙が質量という概念の前提に到達)→2次元面(静止する質量いという概念に進化)→3次元に完結(見かけ上の質量と虚空間量に完結)。そして静止する2次元面(中空の球体)という単位量の内界に、すべての可能性が同時に在る不確定=重複=時空間量の稼働する前)。そして2次元面は他者という2次元面と相互作用(目的量)を得なければ、ひとつに収束できない。
同じ考え方の延長線上にシュレーディンガーの猫のたとえ話で考えると、猫は確率という可能性の内界で生死が重複しているとなる。
しかしラジュウム(過去に在る概念)と、猫(今に在る概念)とは違う次元(過去・今・未来)に位置する。そしてラジュウム(ミクロの世界=過去に在る概念)が放射性物質を発生した、または発生していないか確率的に重複しているとは素粒子という過去の概念(次元)のみにある場合のこと。
そして単体に在るラジュウムが放射性物質を放出したか、しないかは確率的に重複しているとしても、それを猫(素粒子は原子→分子→物体の内界に収束している)の生死が確率的に重複しているという現象に当てはめることはできない。

しかし単体にある物質を構成する素粒子は単位量の内界に在る、すべての可能性に重複している。そして宇宙が単体(ひとつのもの)に在るならば、それもひとつの量子(すべての可能性の、ひとつに確定していない=単位時空間量に完結していない=未来が重複する)であり、その内界にあるすべての在るものは可能性に重複している(猫の生死も重複している)