意識宇宙


宇宙は意識そのものであり、その内界に意識を有する生物が生まれ出る。それは生物だけでなく、あらゆる在るもの(事象)に共通しているのだと思います。

(こちらからホームページも見ていただけると嬉しいです)

 

※鳥は、鳥になるべくしてなったのか

鳥は進化の過程で鳥としての今の形になっていったのか。鳥だけではなく人間も含め、あらゆる生物はどうして今の形を得ることができたのか。周りの環境の変化に対応する進化をしながら結果的に空を飛べるようになった?それでは現在の形を目指さず、その時の環境の変化のみに対応する身体を変化させて行ったことになってしまいます。ならば羽は、いつから羽だったのか。ある日突然進化の過程で羽と言えるものになったのか、そうは考えにくい。羽ができるまでの経維があったはずです。
ではその経維とは。鳥を目指していないのに羽を形作る経維は必要だったのか。今の形が最終目的の形とは思わないが、少なくとも空を飛ぶための最高のメカニズムを有しているはずです。生き残るために有利な能力を持った生物のみが生き残る自然淘汰とは結果(現象)であり、生き残るために有利な能力を得たという進化ではない。そこには進化の始まりから空を飛ぶという目的量を有していたはずです。
地上を歩いていた生物が意識(自己という単位相互作用量=すべての可能性と同時にあり、ひとつの結果に生まれ出ようとする)を使い、集めた情報をイメージ(世界観)する。イメージ(現実に在るもの=思わなければ新たなものは生まれ出ない)は理論(今に在る均等から到達すべき均等に連続する)と同時にあり、その生物がこの世に存続するという欲求(可能性のひとつに到達しようとする)を原動力に新たな生き残りのための生物(存続できないものと相反するもの)を描き出す
(無意識)
それが空を飛ぶことで、この世に存続する確立を高めた生物(必要最小限=最大の効率)という概念が理論世界に生まれ出た時(原因と結果は同時にある=疑問と答えは同時に在る)、鳥という新しい種(存在容量=単位相互作用量=重力・意識量)の内界に時空間量が生まれ出る。
※あらゆる生物が、その生命を維持するための最高とも思われる性能を有している、それが偶然とか突然変異であるとしても、あらゆるプラスの面と、あらゆるマイナス面の両方を有して存在(得たものには、相反して、失うものがある。失ったものには、相反して、得たものがある)している。そこに偶然とか突然変異は無い。
ガラパゴス諸島で、それぞれが独自の進化を遂げたことは、それぞれの島そのものという、答え
(環境=到達すべき適応)がすでにあり、今(適応していないもの)は、相対して同じもの(均等=中間)に在ろうとする、原因(到達すべき概念=重力・意識)の内界(未来量と虚空間量=時空間量)に在る。
キリンの首は高いところにある餌を得やすくするために進化の過程で首の長い生物になったということは、高いところにある餌と食べて生命の存続を図るという答えを、すでに得ていたこと。そして到達すべき結果の総量に向かい内訳という行動結果
量(機能という形=進化)を積み重ねる連続。そして鳥は、鳥になるべくしてなった。

 

 

恐竜の絶滅
すべての宇宙が、ひとつの理論(あらゆる今に在る均等は、表裏一体に、更なる均等に連続しようとする)に稼動し、今(質量という概念を虚空間量の内界に認識する)を連続する意識に積み重ねます。過去(連続する質量)の総体と同時になければ物質(物体)は速さ(見かけ上の質量=今)を得られず、相反して、未来量と虚空間量の総体(すべての可能性と同時に在り、ひとつの結果に生まれ出ようとする)が同時(表裏一体)になければ更なる進化(連続する見かけ上の概念=今)は稼働しない。とすれば原理世界には管理体制が必然的に存在し宇宙に在るものの行動結果は、すべてが記録されているということでもあります。
では生物については。色々な生き物がいます、同じ生命ではあるが生物の形態は様々。始まりの生物という概念(ひとつのもの=世界観)に生まれ出て、生物という概念の総量に到達するために、いろいろな形態(多様性=更なる進化に連続する可能性)に生まれ出た。
では私たちの世界を生み出している理論は、それをどのように管理しているのでしょうか。生物について考えれば、それぞれの、種(概念=到達すべき、ひとつのもの)ごとに使えるだけの単位相互作用量(単位量の内界にある、すべての可能性)に生まれ出たとも仮定できます。
恐竜という生物(種)には、この世に存在できるための一定の存在容量(得るであろう結果量)がある、それは一匹の恐竜が二匹に増えることも、行動することも、そのすべての得るであろう結果量を、その容量の中で行う。そしてそれらの容量がなくなった時、その種の存在期間は終わることになります。恐竜の絶滅(この世の存続期間が終わる=行動結果の総量という記録が残る=恐竜という種の概念の総量=恐竜は存在した)
かなり無理のある発想かもしれません。しかし今ここに在ると思えることは、結果単位量(概念)の認識(今)の連続であり、連続する認識を得るためには、到達すべき相互作用の総量(意識量)という設定世界(単位量)があるはずです。そしてそれぞれの生物(概念=種=ひとつのもの)には地球上に存続できる生命の総量(地球という概念量=ひとつのもの)の内界で、他の生物との相対する生命の、量(領分)に在ります。
では恐竜は、この世から完全に姿を消すということになるのか。そうではなく恐竜は生き残りをかけて新しい生物に変わっていった。それは生き延びることと子孫を残すという欲求(根源的な意識=自己の総量に到達しようとする)により新しい種(更なる概念=到達すべきひとつのもの=進化量)を探し出す。
素粒子(概念)に到達し、同時に原子(概念)の始まりにある→原子(概念)に到達し、同時に分子(概念)の始まりに在る。今ある概念は更なる概念の前提として有る、そう考えると探し出すというよりは同時にあるとも言えます。恐竜は生命の存続をかけて、思う(宇宙という概念の総量に到達しようとするの内界に生まれ出た、ひとつの結果単位量量=存在理由)を使い、回りの環境という情報(相対する結果単位量の総体=同時)をもとに生き延びるという、欲求(想像=思うは存在するもの=結果を生み出そうとする原因)をする。
すべての宇宙を包括する根源的な原因(始まりの均等から、相反して、終わりの均等に到達しようとする=すべての可能性と同時にあり、ひとつの結果に生まれ出ようとする)の内界に新たな未結果量(鳥という新しい種=更なる概念)が生まれ出た時、今ある概念(恐竜=連続する意識量=時空間量)の外界に、鳥という姿に到達しようとする意識量(到達すべき概念に連続するもの=時空間量)が生まれ出る
。その時、一部の恐竜は鳥という新たな、存在容量(単位相互作用量=単位意識量)を得て、鳥という到達すべき進化単位量に変化(進化)を積み重ねて行ったとなります。
なぜ、これほど多くの形態の生物がいるのでしょうか。それは生き残りをかけた新しい存在容量(概念=進化単位量)の獲得という、原動力(始まりの均等から、相反して、終わりの均等に到達しようとする)が働いているとも言えます。また恐竜は自身の存在容量が少なくなった時、鳥という新しい存在容量を得たとすると仮定すると、個々でそれぞれの意識(今に在る概念の内界で稼働する)を有するが、種全体で、ひとつの意識(更なる概念=進化)に生まれ出ようとしているとも言えます(あらゆる分裂単位量は、表裏一体に、更なる分裂単位量の内界に、ひとつにものとして在る)。人間も含め他の生物達は、それぞれの種という単位量でつながっている。そして地球上の生命の総量で、ひとつの答え(単位量=地球という概念の総量=進化)に到達しようとしているのだと思います。
※隕石の衝突により恐竜が絶滅したという説が有力です。多くの証拠が残されており、その可能性は大きいようです。しかし隕石が衝突していなくても恐竜は絶滅し、一部の恐竜(概念=単位量)は、更なる概念という鳥(ひとつのもの)になったのかもしれません

 

※年を取ると月日が早く過ぎるとは。
すべては相対して一対(表裏一体)に在る。宇宙がどこまで進化しようと、表裏一体に得た結果量の総体(ひとつのもの=普遍)。静止する質量という概念(2次元面=進化=自己に到達)は、相反して、到達していない未来量と虚空間量と同時に在る。そして光の速さに到達した素粒子は消失した未来量と虚空間量は自己の内界に同時にある(3次元に完結=無=存在した)。そしてあらゆる在るもの(根源に素粒子を内在する)は光の速さに到達せず、あらゆる速さの世界で進化(更なる結合)に連続している。
原因量と結果量の内界にあらゆる見かけ上の質量と、表裏一体に、あらゆる虚空間量に完結の連続の積み重ね。そして人間も同じ原理上にあり、生まれ出て、そして死に到達する間に、自己の内界に増幅に連続する得た時空間量(結果の量)と、相対して、減少する時空間量(未来量と虚空間量)という歪(今)に連続しています。
そして自己(ひとつのもの)の内界(今=0=意識量と終わりに10という意識量の対比)があるとすれば。そして仮に自己(今=7)という結果量を得たとすれば、相対的に残りの自己(今=3)という未結果量は小さくなります。それは7という自己が自己が在るためにそれだけの演算量を要すること。そして年を重ねる(増大する演算量)の存在は、残りの人生期間(演算量)を早く消化してしまうことになります。


※楽しい時は速く過ぎ、つまらない時は長く感じるとは。
すべてはひとつの原理上(光の単位量は相対して一対にある)に稼働する。そして1次元~3次元(質量という概念=光の速さに到達しようとする素粒子=あらゆる時空間量の根源)の内界にすべてが稼働する原理がある(あらゆる宇宙は1次元~3次元にある)。そしてあらゆる見かけ上の質量と、表裏一体にある、あらゆる虚空間量で一対(ひとつのもの)の内界に在る。
そして楽しいとは、静止する意識量が目的量に入り込み(速さを得る)、相反して、意識量(虚時間量と虚空間量)が減少するに在り、つまらないとは、静止する意識量の反対側にある目的としていない意識量(虚時間量と虚空間量)が増大する(光の単位量は相対して一対に在る=選んだ世界に意識が稼働する)となります


※死を目前にして走馬灯のように過去がよみがえるとは。
原因がなければ結果もなく、相反して、結果がなければ原因もない。そしてないものの内界に自己も生まれ出ない。あらゆる自己(素粒子→原子→分子=→物体→生物→宇宙=あらゆるひとつのもの)が在ることは、自己を生み出した原因と自己が到達すべき結果量の内界に稼働(意識量)している。
そして自己が死に到達しようとする直前には自己(人間でいえば)の人生の総量に完結(ひとつのもの)に収束しようとする(自己の得た時空間量が同時になる)。そして死に至らず生き延びることができれば、人生という意識量の内界に今として在り過去は思いでとして同時にあります。