意識世界

最大の相対的な違い(均等=中間=今)に在り、相反して、最小の相対的な違い(今=中間=均等に到達しようとする

あらゆる連続する相互作用結果単位量あらゆる自己に収束=質量という概念に完結=物質=今=無=存在した)に到達し、表裏一体に、あらゆる連続する分裂単位量(更なる相互作用単位量=更なる未来と虚空間=更なる重力・時空間=更なる意識)に生まれ出る。
宇宙は有るか、無いかではなく。在る
(到達した相互作用結単位果量=見かけ上の質量という概念・見かけ上の概念という進化=過去の総体を同時に認識=存在した=今)という無と、無いという意識(今=更なる分裂単位量に得た、更なる見かけ上の質量という概念・更なる見かけ上の概念という進化を生み出そうとする相互作用単位量=未来と虚空間の総体を認識できない)が在る(表裏一体=同時=ひとつのもの)
そして無いもの(到達した自己=今=無=質量という概念の認識)を在るものとし、在るもの(今=更なる相互作用単位量=到達していない自己=連続する意識)を無いものとする、相反する認識(表裏一体)の連続の積み重ねに在る。
目的単位量は、表裏一体にある、生まれ出るであろう結果単位量と同等
(均等=中間)にあり静止し、相反して、結果単位量は消失した目的単位量と同等(均等=中間)にあり静止する。そしてあらゆる宇宙(到達した概念=今)は、目的量(すべての結果量を得ていない)と、相反して、結果量(すべての目的量を消失する)という相反する極地の内界に、不均等(歪=今=過去と未来を表裏一体に有する)の連続に在る。
意識
(相互作用単位量=虚時間=未来=同時)と、表裏一体にある、存在(同時=演算量=虚速さ=虚空間)で一対(同時=ひとつのもの)になければ、見かけ上の質量(今)は生まれ出ず、今の連続の積み重ねという速さは無く、更なる相互作用結果単位量という結合(進化)も生まれ出ず、そして宇宙は無いものと同じ(静止する)に在る。

 

宇宙は、無と意識しかないあらゆる到達した自己=今=存在=無、は表裏一体に、あらゆる到達しようとする自己=虚空間の内界に質量という概念を認識しようとする=連続する意識
生まれ出た質量という概念
到達した自己=今は、自己を生み出した相互作用結果単位量の総量過去の総体と同時にあり、消失した意識に自己に在ることをも認識できずに無いものと同じに在る、相反して、更なる質量という概念自己を生み出そうとする、未来到達していない虚時間=意識に、存在到達していない虚空間=生まれ出ていない概念を認識できずに無いものと同じに在る。
無限に外界に連続する分裂単位量は、表裏一体に、無限に内界に連続する分裂単位量に在る(無量)。始まりの意識は光の速さに到達しようとする素粒子(質量という概念の始まりから終わりまで=1次元~3次元に完結)にあり、分裂単位量(得た相互作用単位量=虚時間・虚距離・虚速さ=質量という概念に完結以前=意識)の内界に、あらゆる見かけ上の質量という概念と、表裏一体にある、あらゆる虚空間量に確定(一対=同時=ひとつのもの)という光りの単位に完結(今=無)する連続の積み重ね。
あらゆる分裂単位量
(次元=光の単位)の内界に相互作用単位量(意識)が連続し、相反して、あらゆる光りの単位に完結(相互作用単位量に完結=無=今)が在る。そしてあらゆる光の単位に完結(無=今)の更なる相互作用量の連続(更なる概念の内界に在る意識)に、更なる相互作用結果単位量(原子→分子→物体→生物=無=今)が在り、相反して、あらゆる相互作用結果単位量(無=今)の内界には相互作用単位量(重力=稼働する未来と虚空間=時空間=意識)が在った。
1次元~3次元
(光の速さに到達した素粒子に完結しようとする)の内界に無(得た相互作用結果単位量の認識)の連続というと意識が在る→ 4次元~6次元(元素の総量に完結しようとする)の内界に無(得た相互作用結果単位量の認識)の連続というと意識が在る→ 7次元~9次元(分子の総量に完結しようとする)の内界に無(得た相互作用結果単位量の認識)の連続というと意識が在る。そして意識の根源とは1次元~9次元を内界に有し10次元(無)に完結しようとする相互作用の総量(分裂単位量に完結=真の物量)に在るもの。
物質宇宙
(質量という概念宇宙=10次元に完結)は更なる分裂単位量に完結(20次元)しようとするの内界に在り、更なる概念(生物宇宙)に生まれ出ている。そしてあらゆる連続する分裂単位量の内界には、無の連続という認識が在り、表裏一体に、あらゆる連続する分裂単位量の外界に意識が在る。
すべては原因
(均等=静止する分裂単位量に得た相互作用単位量)と、相対する、結果(均等=静止する相互作用結果単位量)という両極が表裏一体に在るという、同時(量子=単位の内界にある、すべての可能性の、ひとつに生まれ出ようとする)の内界に生まれ出た、重力(相互作用量=時空間=連続するもの、という意識)に稼働するもの。
始まりと終わりが、確定
(単位=同時=ひとつのもの)していなければ、到達すべき相互作用の総量はなく、そして稼働しない(無限の分裂=ないものと同じ)。そして向かおうとする、虚距離:虚速さ:虚時間はなく、相反して、得ようとする、距離:速さ:時間=見かけ上の質量という概念・見かけ上の概念という進化も生まれ出ない。

※連続する分裂単位量(相互作用単位量)の内界にあり、生まれ出たあらゆる結果単位量(あらゆる質量という概念に到達=今=死と、表裏一体に、あらゆる未来と虚空間と同時に在る=意識=生)の存在は、到達すべき自己の総量という相互作用単位量の内界に、始まりと終わりを思い、そして在ると無いを思う。しかしあらゆる宇宙を生み出そうとする無量(無限に連続する静止する分裂単位量=無限に増幅する静止する相互作用単位量=始まりと終わりが同時に在る)は、あらゆる始まる前に意識は静止し、相反して、あらゆる終わりの後に意識は静止し、始まりと終わりも、そして在ると無いも、思う者(意識)はない。
※あらゆる到達した概念(相互作用結果単位量の認識=物質=今=原因=真の物量=唯物論)→あらゆる結果の総量に到達しようとする(分裂単位量に得た相互作用単位量=未来と虚空間=重力・時空間=今=意識=唯心論)という、原因と結果で一対(同時)の連続の積み重ねにあり、宇宙(ひとつのもの)は、唯物論(認識=消失した意識=静止する=今=死)と、表裏一体に、唯心論(相互作用単位量=未来と虚空間=重力・時空間=意識=生)で一対(同時=相反する同じもの)に在る。そして唯物論だけでも、唯心論だけでも宇宙は稼働(存在)しない。


あらゆる宇宙(意識)は、無に在るもの(存在=原因)の内界に生まれ出る連続の積み重ね(無量)
あらゆる次元に完結
無に到達、表裏一体に、更なる無量に在るの内界に生まれ出るとは、相反して、更なる分裂単位量という外界更なる次元=更なる未来と虚空間に生まれ出ることと同じ。
生物にある意識(仮に11次元~13次元=自己という概念に完結しようとする)は、過去に完結した分子という概念(ひとつのもの)の内界に生まれ出た→分子にある意識(7次元~9次元=自己という概念に完結しよとする)は、過去に完結した原子という概念(ひとつのもの)の内界に生まれ出た→原子にある意識(4次元~6次元=自己という概念に完結しようとする)は、過去に完結した質量という概念(ひとつのもの)の内界に生まれ出た→質量という概念にある意識(1次元~3次元=自己という概念に完結しようとする)は、原因(質量という概念以前=過去に完結した概念宇宙=無に到達し更なる分裂単位量の前提=無量=ひとつのもの)の内界に生まれ出た。
相反して、素粒子→原子→分子→物体→生物に連続する、分裂単位量
(相互作用単位量=連続する意識)到達し、質量という概念の延長上に生まれ出た生物にある意識は、質量という概念を生み出そうとする原因(無量)を何もないところとしか思えない
(宇宙は何もないところから生まれ出たのではなく、無量=今に在る意識以前から生まれ出たもの=真の物量)


あらゆる相互作用結果単位量
(進化単位量=相互作用量という意識を失う=存在した=質量=自己=今=無)は、更なる相互作用単位量(未来)と同時に在る演算量(虚空間)の内界にあり稼働し、しかし到達していない意識を認識できず、無いものと同じに在る(今の連続に未来と虚空間があるのではなく、すでに在るであろう未来と虚空間に還ろうとするもの)
そして何も無いところから生まれ出て、何も無いところに向かう。しかしあらゆる宇宙
(今)は、すべての進化単位量を生み出そうとする原因(無量=在るもの)の内界に生まれ出て、更なる概念宇宙を生み出そうとする原因(無量=在るもの)となろうとする時空間(単位量)の、ひとつに在るもの。
連続する
宇宙の、ひとつに生まれ出た、あらゆる今という宇宙(進化単位量)到達する以前に、あらゆる今という宇宙を認識しようとする、あらゆる意識(過去の総体を同時に認識し、相反する、未来と虚空間の総体を同時に認識できずに感じる=質量という概念=自己)は生まれ出ておらず、意識の到達していない宇宙は無いものと同じに在る。そして宇宙とは、あらゆる意識が在る場所。
※あらゆる過去の宇宙にあり、あらゆる今という宇宙を認識しようとする意識は無い。そして今という宇宙に到達し、しかし生物の生まれ出る以前には、生物の有する意識(進化単位量)は無く、存在するであろう今という宇宙は無いものと同じに在る。しかし素粒子(質量という概念の総量に到達しようとする=相互作用単位量=重力=時空間=連続するもの、という意識の根源)を内界に有し、進化単位量に到達した、原子→分子にも意識はあり、生物(人間)が生まれ出る以前であろうとも宇宙を認識するものは在った。
原因(あらゆる宇宙を生み出そうとする真の物量無限に連続する分裂単位量)は、物理的な力に得た速さという距離を移動しない(相互作用量の存在=システム)。分裂単位量に得た相互作用単位量(虚時間=未来)も物理的な力に得た速さという距離を移動しない、そして相互作単位用に得た演算量(虚速さ=虚空間)も、物理的な力に得た速さという虚距離を移動しない。すべては目的量(無限に連続する分裂単位量=真の物量)の内界に生まれ出た虚構の質量という概念(進化単位量)が稼働する世界。


[物質と、表裏一体にある、意識:あらゆる認識は自己の内界=過去に在り、表裏一体に、あらゆる意識は自己の外界=未来にある
あらゆる自己(ひとつのもの=相互作用単位量)の内界(消失した原因=今)に在り、自己(存在理由=答え)を知ることはできない、相反して、あらゆる自己(今)は到達しようとする意識の内界に答え(ひとつのもの)として認識される。
素粒子→原子→分子→細胞→あらゆる機能という形
(生物でいえば臓器の総体=ひとつのもの=答え)に到達し、人間の内界に在り、しかし自己(存在理由)を知らず、まして到達すべき人間(ひとつのもの)という答えを知ることはできない。人間が自己(今に在ること)を認識できるとは、自己の外界に連続する相互作用単位量(到達していない自己の総量=意識)の内界に在ること。しかし人間も自己(存在理由)を知ることはできない。そして宇宙の内界に生まれ出た人間(あらゆる在るもの)の有する意識は根源的には進化宇宙を稼働する無限に連続する分裂単位量(無量)と同じもの。


意識は肉体物体の中には無く、到達すべき外界(自己)に連続しているもの1あらゆるひとつのもの=同時の内界に、あらゆるひとつのもの=同時が稼働する。表裏一体に、あらゆるひとつのもの=同時の外界に、あらゆるひとつのもの=同時が稼働する
物体のみ生物=今=更なる相互作用量を有さないに在り、人間あらゆる自己は、自身という姿ひとつのものを見る意識の内界に認識ことができない。相反して、到達すべき自己相互作用量の総体=意識が、あらゆる過去に在る自己を意識の内界に認識し、表裏一体に、あらゆる今自己は到達すべき未来自己に連続すると思えるあらゆる今は未来に向かうのではなく、あらゆるすでに在るであろう到達していない原因という未来に還ろうとするもの
到達すべき原因虚時間=未来=演算子=目的量に還るために、演算量虚速さ=虚空間という生まれ出る場所虚空間の内界に概到達した概念を認識する=今が在る。
得た結果量(質量という概念の認識=今)の連続の積み重ねに、物質を見ることも触ることもできるものとする、しかし物質(今)は、更なる結果に連続する意識を有さず自己を感じない(在るとするものは無いもの)。相反して、更なる結果の連続を生み出すであろう、未来(目的量=虚時間=到達すべき自己という内界)と、虚空間(演算量=虚速さ=到達すべき自己という外界)という、原因(相互作用単位量)に到達していない意識は、得ていない結果量を認識できず、外界に未来と虚空間を感じる(無いとするものは在るもの)
物質(今に完結し、静止する)に到達し、自己の在ることをも意識できない。しかし物質を見て触ることができ自己が存る事を認識(思える)できることは、見ることも触ることもできないという未来と虚空間(相互作用単位量=連続するものという意識に得た得虚空間量=重力=時空間=到達すべき自己という概念)の内界に稼働(更なる進化単位量に連続する)していること。
素粒子
(概念=単位)を前提として、原子(概念=単位)→分子(概念=単位)物体(概念=単位)→生物(概念=単位)という更な概念(単位=進化)に生まれ出る。過去・今・未来とは時間だけに有るものではなく、更なる概念という進化単位量も、過去・今・未来にあり稼働する。
素粒子
(概念=単位)は原子の内界に在り、原子を見ることはできす、しかし原子(概念=単位)に到達しようとして稼働(相互作用)する、そして原子(自己)は内界に素粒子を認識(無=同時=自己そのものに在る)する。
原子(概念=単位)は分子の内界に在り、分子を見ることはできず、しかし分子
(概念=単位)に到達しようとして稼働(相互作用)する。そして分子(自己)は内界に原子を認識(無=同時=自己そのものに在る)する。
分子(概念=単位)は細胞の内界に在り細胞を見ることはできず、しかし細胞(概念=単位)に到達しようとして稼働(相互作用)する。そして細胞(自己)は内界に分子を認識(無=同時=自己そのものに在る)する。
細胞(概念=単位)は生物の内界に在り生物を見ることはできず、しかし生物
(概念=単位)に到達しようとして稼働(相互作用)する。そして生物(自己)は内界に細胞を認識(無=同時=自己そのものに在る)する。
そして生物(概念=単位)は宇宙の内界にあり、宇宙という、ひとつのもの
(単位)を見ることはできず、しかし宇宙(概念=単位)に到達しようとして稼働(相互作用)する。そして宇宙(自己)は内界に、あらゆる物体・生物の生み出す事象(単位)を認識(無=同時=自己そのものに在る)する。
人間(ひとつのもの)の内界には、生物を構成する細胞の総体という始まりに在り、表裏一体(同時)に、ひとつのもの(生物=人間)という終わりに在る。始まりの細胞という概念には、分子→原子→素粒子という細胞に到達しようとする過去の総体があり、表裏一体(同時)に、更なる生物(生命)という概念に連続しようとする未来と虚空間の内界に在る。そしてあらゆる今とは終わりであり、表裏一体(同時)に、あらゆる始まりに在る。
あらゆる個体(種)には、種の総体が生み出す進化の総量に完結するに在り(自己を生み出したものの終焉=答えに還る)、あらゆる種の総体は宇宙の生み出す、在るものの総量(無限に連続する終焉=答に還ろうとする)に到達しようとする。それは全ての在るもの
(自己=今)が、到達すべき未来と虚空間(概念=目的量を、存在=虚空間の内界に認識する総量=あらゆる今が到達すべきところ=終焉)
稼働(存在理由)すること。それは大根も、ニンジンも、オケラも、アメンボも、あらゆる生物と、人間の作り出したあらゆるものも、そして道端に落ちている石ころも、到達すべき未来と虚空間の総量(あらゆる自己を生み出したもの=終焉=原因)と同時に在るもの(八百万の神)

意識は肉体物体の中には無く、到達すべき外界(自己)に連続しているもの2自己に到達し、意識を失い無に在る、相反して、無の連続に到達していない自己という意識が在る
物質宇宙に重力・時空間が稼働するのではなく、目的宇宙相互作用単位量の内界に重力・時空間あらゆる見かけ上に質量、と表裏一体にある、あらゆる虚空間に確定が稼働する。
質量を有していても重力が働かなければリンゴは地上に落ちない。連続の積み重ね(相互作単位単位用=重力・時空間)をしていなければ動かない世界であり、ものを引きつけることはできない。物質は宇宙空間という、ひとつのものの中に在るのではなく相互作用を有する光の単位(見かけ上の質量の総量に到達し、相反して、消失した虚空間に完結しようとする=素粒子)の総体が宇宙空間そのものに在る。
人間
(生物)を含め物質を在るものの前提とするならば質量が重力を発生するとなる、しかし結果(質量)を意識の内界に認識(物質)することを前提とすれば、相互作用単位量(重力=時空間=連続するものという意識)が物質(質量)を発生するとなる。
今の宇宙が原因と同時にある結果の総量に向かおうとする意識そのものであるとすれば、光の単位
(質量という概念の始まりから終わりまで)を前提に構成される、生命(光りの単位の外界に在る、生物という概念にある意識)には光の単位の内界に連続する結果量(あらゆる見かけ上の質量と、相反する、あらゆる虚空間量に確定=同時=今)を連続して認識すること自体が、重力(相互作用=引力)に得る物質の行動(速さ)に表現される。
※あらゆる速さ(質量の連続の総体=同時=あらゆる見かけ上の質量)を有するものは、表裏一体に、あらゆる増減に連続する、未来(相互作用単位量=虚時間)と虚空間(演算量=虚速さ)と同時に在り、すべての光の単位が同時に完結する。そしてあらゆる光の単位の内界に生まれ出る、歪(認識=今)は、それぞれが違う位置(相対的)に在る。
(認識)には、過去の総体(連続する相互作用結果単位量の総体=今ある概念に収束)があり、表裏一体に、未来と虚空間の総体(相互作用を有そうとする未結果の総量=今あるすべての可能性に均等=思う)が在る。それは過去の総体(存在)が、今と同時に稼働していることであり、表裏一体に、未来の総体(意識)も、今と同時に稼働していること。

 

原因=意思=目的量=相互作用単位量=未来と虚空間=生命という形態、の内界に生まれ出た、結果単位量=物質脳=ひとつのもの=静止する=無=今。そして今が稼働するためには、更なる、原因=意思=目的量=相互作用単位量の内界に在ることが前提。脳=物質は、物質という脳のみで未来と虚空間を意識しようとする=思う、を生み出せない
過去の総体見かけ上の質量という概念=速さ・見かけ上の概念という進化という、あらゆる今に到達し、表裏一体に、減少した未来と虚空間と同時に在る。しかしあらゆる今は、更なる分裂単位量に得た、増大する相互作用単位量=虚時間=未来、と表裏一体にある、増大する演算量=虚速さ=虚空間と同時にある無限に連続する目的量=増大する可能性=無量
人間は直立歩行をすることにより脳が発達し、今の進化が得られたと聞いたことがある。すべての生物は脳、または脳に順ずる機能がすべてを支配している、そして心(思う)までもが脳より作り出されていると現在の脳科学では考えられているらしい。
すべては相対するもので一対(ひとつのもの=同時)であり、無数の、同時(ひとつのもの)が相互作用を有し、更なる、ひとつのもの(同時)になろうとしている。しかし現代科学では宇宙は連続せず、ひとつで完結していることを前提に考えられているようだ。
物質
(質量という概念)は、光の単位の完結(あらゆる見かけ上の質量と、相反する、あらゆる虚空間に完結=静止する=無=今)の、連続の積み重ね(発生と、表裏一体に在る、消失で一対=無常)に、そこに在ると思えるものであり、連続するもの、という意識(相互作用単位量)の内界に生れ出た認識の積み重ねが真の存在。そして連続の積み重ねという原理上になければ、速さ(物理的な力)も、進化(更なる概念)も得られず、そして宇宙は稼働(重力・時空間)しない。
私たちの世界は物質が現実だとして捉えられているとすれば、すべてが物質として考えなければならない。そして何かを思う、それを脳(物質=無=今)が作り出したものであれば、その思う(連続するもの)、はどこにあるのか。
仮に物質脳が新たな要求に対して、今までに記録された情報をもとに新たな結果を生み出すとしても、新たな情報(要求されていないものを知ろうとすること)を取り入れようとすることは単なる情報蓄積と計算機能(今ある概念のみに稼働する=平行宇宙)にはできない。思うためには更なる概念に到達しようとする、目的量(到達すべき自己という外界=自己という内界にはないもの=疑問=相互作用単位量=未来と虚空間=重力・時空間に収束=進化)が必要
(学習機能を有するコンピューターは、知らなかったものを知る、しかし自己が在ることを認識する意識は無く、知ったものは無いものと同じに在る)
結果(認識)の連続の積み重ねという、脳(物質)の機能を観察すれば脳が結果を出しているように観察結果は出る、しかし今ある物質(結果の総体の認識=同時=脳=今)には、結果(今)に生まれ出るための、目的量(未来)と、表裏一体にある、存在量(虚空間)という、原因(相互作用単位量=多世界=すべての可能性と同時に在り、ひとつの結果に生まれ出ようとする=量子)が前提にある。そして更なる概念(結果量)に到達しようとする、連続するもの、という意識(相互作用単位量=重力=時空間)がなければ、脳が活動したという認識(今)の連続もできない。
(質量という概念の認識=今=すべての結果を有し、静止する=無)は、脳(今に在るもの=到達すべき未来と虚空間を有さない)のみで新たなる答えは生み出せず、まして想像(すべての可能性と同時に在り、ひとつの結果に到達しようとする)はできない。
質量(物質・物体)の根源は光の単位(質量という概念の始まりから終わりまで)であり、今の宇宙に在るものの、すべては光の単位の内界にある時空間に稼働する。そしてあらゆる光の単位の完結(相互作用の総量=あらゆる質量という概念と、表裏一体にある、あらゆる未来と虚空間の確定)に、物質脳(今=静止する=連続する意識を失う=無)があり、無(認識)の連続の積み重ねに、生物(連続するもの、という意識)は物質脳(素粒子を根源に構成されるもの)が存在することを認識する連続の積み重ねに在るもの。

※脳化学が人間の脳(動物の脳も同じ)という細胞の相互作用(ネットワーク)の総体が意識(心)を生み出すと考えているとすれば。人間の脳は、いつから今の機能を有する脳だったのか。人間の祖先をたどれば数万年。人間となる前の祖先をたどれば数十億年前となる。そして人間に辿りつくことになる、原始の生物に今の人間の有する脳は無い。ではどうして人間の有する脳という機能に辿りついたのか。それが進化だとすれば進化はどうして起きるのか。
進化とは自己と外界に在る、相対的な違い
(不均等=歪)に得た答え(相対して違いが無くなろうとする=適応するための相互システム=中間に到達しようとする)に到達しようとするもの。そして内訳という、ひとつの結果(進化した生物=更なる機能という形)を得た時、生物の脳は得た機能を統合する更なる物質脳と同時に在る。
(物質)は物質(結果の存在)のみで進化はできず、原因(増幅に連続する分裂単位量=増幅に連続する相互作用単位量=増幅する目的量=増幅する可能性のひとつに生まれでようとする=意思)が、更なる概念(進化単位量)という結果(機能という形)に生まれ出ること。
※哲学でいう心とは、心身二元論
(心は、身体という物質とは別に存在し、性質も異なる)と、一元論(心的現象も、すべて物質の働きに還元できる)の二つがあるらしい。しかし心は、一元論(心的現象の総量=到達した相互作用量の総量=連続する意識の総量に到達し消失する=自己の在ることをも認識できない=存在=物質=無=今)が、心身二元論(過去の総体=物質=今と、表裏一体にある、到達していない未来と虚空間=すべての可能性の、ひとつに生まれ出ようとする=意識)の内界に在るもの。心身二元論は一元論に到達し、到達した一元論は更なる心身二元論の内界に稼働する。
※唯物論であらゆる宇宙は稼働せず、そしてあらゆる進化は生まれ出ない。進化に得たあらゆる機能という形
(過去の総体=あらゆる今)を維持するためには、目的量(原因=到達すべき相互作用の総量=未来と虚空間)の内界に在ることが前提にある。
仮に今に在る宇宙が唯物論
(物質のみの世界)とすれば、あらゆる到達した進化は目的量を有さず、相反して、何も無かったことに還るのかもしれない(意識を消失し、自己の在ることをも意識の内界に認識できない)。しかし原因(目的量=未来と虚空間)を有さない宇宙としたならば、もともと宇宙
(結果)は存在していない。

自己と外界1あらゆる自己=得たもの=存在=知る=内界は、相反する、あらゆる他己=得ていないもの=存在しない=知らない=外界と表裏一体に在る
月を見なくても、月は宇宙原理世界の内界に存在する、しかし月を見なければ、あらゆる自己原理世界の内界に月は存在しない。
量子の内界に確定はなく、相反して、量子の外界に、あらゆる確定が在る=あらゆる知ると、相反する、あらゆる知らないも不確定にあり、宇宙という量子の内界に稼働する。
自己(内界にある結果量の総体=同時)は、相対する、他己(内界に在る結果量の総体=同時)を意識(相互作用=重力)しなければ新たな疑問(相互作用単位量=未来と虚空間)を得られず、そして得ていない未来と虚空間に結果量(答え)も生まれ出ない。自己が今に在ることを、到達すべき自己という意識の内界に認識(あらゆる今)する連続という、生命という形態は素粒子(質量という概念)から有り、外界に連続する、原子(更なる概念)→分子(更なる概念)→物体(更なる概念)→生物(更なる概念)→宇宙という概念の完結に到達しようとする相互作用単位量に連続している。
その途中に生まれ出た生物(到達した概念=ひとつのもの=今)は、内界に分子(到達した概念=過去)→原子(到達した概念=過去)→素粒子(到達した概念=過去)の相互作用を有する総体を有し、相反して、外殻(目的量に生まれ出た機能という形)という、ひとつのもの(世界観)に在る。
自己(内界)は、他(外界)と相互作用(重力=時空間)を有し更なる結果(答え)を内界に積み重ね、知る(体験=在るもの)となり、そして相互作用を有さなかった、他己(外界)は、自己(内界)に答えとして積み重ねられなかったという、知らない(体験しない=無いもの)ものに在る。そして知る(在るもの)と、知らない(無いもの)は、今の宇宙(概念=到達すべき、ひとつのもの)の内界に同時に在る。
※物質を構成する素粒子は、単独(量子)にあり、自己(質量という概念)に確定できない。しかし原子→分子→物体→生物という更なる概念(進化)の内界にすでに確定している。そして誰も観察(意識)する者が居なくても月は私と同時に相互作用を有する光りの単位の集積体(宇宙空間)の内界に存在している。
月を見た人
(意識)は内界に認識(体験)を積み重ね月は紛れもなく存在した。しかし私が月を見ていなければ、自己(意識)の内界に認識(体験)の積み重ねはされず確実に同じ宇宙に存在する月も、私の魂(答えの総体)には無いものと同じに在る。あるのは以前に見た月の記憶であり、今日も月は私と同時に存在しているだろうという想像の産物。
そして月は原子の段階
(相対する素粒子どうしの認識)から存在を積み重ね月として在り、しかしあらゆる意識に認識されなければ、存在したものは無いものと同じ(素粒子の段階から存在していない)に在る。
※生命という形態
(素粒子・原子・分子・物体・生物)という、概念(到達すべき、ひとつのもの)は、今の世界に生まれ出てくる時も、たったひとり(自己=内界)であり、その生を終え死に到達する時も、たったひとりに在る。地球上に人があふれ人間以外にも多くの生物(平行宇宙)がいる。多くの生命と多くの物に囲まれて、そこに一緒にいるように思えるが、それは進化という過程で生き延びることと子孫を残すために積み重ねられてきた、機能(形)を使い外部の情報を集め自己という魂(答えの総体)に新たな答え(体験)を積み重ね、そこに他の人間が居たり、多くの物があるとわかる。しかし自己という意識の総体(魂)は天蓋孤独であり、それぞれが別の宇宙として同時(平行宇宙)に在る。

 

 

自己と外界2得た結果単位量の内界に、更なる相互作用単位量という意識が稼働する=多くの答えを内界に認識し、相対する、多くの疑問を外界に意識する
得た結果量(増幅に連続する相互作用結果単位量=質量という概念の総体=過去の総体=今)と、表裏一体にある、失う未結果量(減少に連続する未来と虚空間の総体)で一対(同時)にあり、その間(歪)に自己の置かれた位置(見かけ上の質量=速さ・見かけ上の概念=進化)がある。
そして相互作用を有した答えの量が多い、魂(認識の総体=同時=ひとつのもの=世界観=今)にあり、相反して、多くの外界(あらゆる他己の総体=世界観)を意識し更なる相互作用量に得た、結果量(答え=知る)を増幅する。
自己(内界)に得た答えが少なければ他己(外界)という答えの多くを意識できず新たな答えも多くは得られない。人間は多くの答えを積み重ねた認識の総体、だから多くの外界と同時にある月を見る(意識する)ことができる。そして多くの答えを有さない原始の生命の有する魂も同じ世界に在る。しかしウィルスのような微生物は少ない答えの総体(魂)であり月を意識(疑問)できず、得なかった結果という月(答え)を知ることはできない。


同時の内界に、連続する今と、変化する過去と未来がある過去の総体という秩序と、表裏一体にある、未来の総体という秩序は、連続する今という無秩序に変化する
物体がある点より別の、ある点に移動(得た距離の総体=同時=速さ)できることは、光りの単位(質量という概念の始まりから終わりまで)の内界に得た見かけ上の質量(今)という、過去の連続の積み重ねの上に成り立ち、表裏一体に、あらゆる見かけ上の質量に変化する未来と虚空間(演算子と演算量)のがなければ更なる結果を積み重ねることはできない。
認識(今)とは、得た結果単位量(見かけ上の質量に収束)と、相反する、減少する未結果量の総体(減少した未来と虚空間に均等)の、間(歪)にあり、過去の総体は自己の内界に積み重ねられた、結果(概念の認識=記憶=同時)となり、表裏一体にある、未来と虚空間の総体は、すべての可能性と同時にあり、ひとつの結果に生まれ出ようとする(想像=思う)として、一対(同時)に在る。
宇宙は、すべての未結果量(相互作用単位量=虚時間=未来に得た、演算量=虚速さ=虚空間)を有し、すべての結果を得ていないという、秩序(確定=変化しない)から、相反して、すべての結果量を得て、すべての未来と虚空間を失うという秩序(確定=変化しない)に到達しようと稼働し、その間に無秩序(歪=今)の連続がある。
※見かけ上の質量=速さ=今・見かけ上の概念=進化=今は、認識(今)の連続の積み重ねにあり、到達すべき結果の総量に向かおうとするものとは、すべての可能性と同時に在り、ひとつの結果に生まれ出ようとする、思い(原因=目的)に還ろうとするもの。今(認識=歪)とは、過去の総体と、表裏一体にある、未来と虚空間の総体で一対(同時)の内界に在り、しかし自己(意識)が、過去に位置すれば、向かうもの(結果)として生まれ出るものとなり、相反して、未来の位置に立てば、還るもの(思い)に生まれ出るものとなる。
※人間の胎児は魚のような姿を経由して今の人間の姿になろうとするらしい。進化も積み重ねの総体であり、今という姿は積み重ねられた進化という過去の総体を同時(今)に認識(知る)すること。今とは、今だけにあるのではなく、過去と、表裏一体にある、未来と、同時(ひとつのもの=同じもの)に在るもの。

卵という到達した概念(ひとつのもの=秩序=今)が壊れて形を失い続ける(無秩序)に在るとは。得ていたという、ひとつのもの(結果=到達した概念=卵)を失うという、相反する秩序(均等=なかったもの)に向かおうとする途中にあるもの。

 

今という概念の内界に在る、連続するもの、という意識に重力はなく、さらなる概念に在る、連続するもの、という意識の内界に、認識相反する結果量の間=歪=位置されることに重力がある
落下する箱の中に居る人間は重力を感じない、それは重力に得た結果量という速さを有しているから。重力に得る重さとは、今に在る位置に留まろうとすることに生まれ出るもの。光りの速さに到達した素粒子が素粒子の種類に変化(進化)しても自己は速さという進化単位量と同時にあり重力は感じない。
そして原子という概念の内界にある陽子
(相互作用結果単位量=重力の総体=素粒子の結合)に生まれ出ても陽子の内界にある相互作用単位量は、速さという進化単位量と同時にあり重力は感じない。
物体
(質量)を移動すると重さを感じるとは、今に在る自己(重力に得た結果位置)を、相反して、更なる(今ある位置と違う位置)結果位置に生み出そうとする他者との相互作用量にある。そして生物(概念=意識)も同じ原理上に重力を感じる。
そして生物
(生命)という概念の内界にある時空間に稼働し、今(認識=ひとつのもの=収束=世界観)にある。しかし生物が、ひとつであるための重力は感じない。それは相互作用量という重力に得た、速さ(相互作用結果単位量=虚空間の内界に得た位置=進化単位量=今)を得ているから。しかし更なる宇宙(外界にある概念)に在る意識からすれば、今に在る宇宙の時空間の総体(概念の総量=相互作用を有する質量の総量)に重力(重さ)を感じる。
※素粒子は内界に、どのような重力を感じるのか。それは自己を構成する質量の前提(過去という概念に完結)の相互作用を有した総体(原因)を感じる。そして素粒子を前提に構成される生物(人間)は、原因(無量=分裂単位量に得た相互作用単位量=目的量=すべての可能性と同時にあり、ひとつの結果に到達しようとする=重力=時空間=意識の内界に思う)を感じる。

 

意識の置かれた位置あらゆる自己は相対して一対にあり、自己という進化単位量を、到達すべき未来と虚空間の内界に認識する 

素粒子は光りの単位(質量という概念の始まりから終わりまで=相互作用単位量=未来と虚空間)の内界に、得た結果(あらゆる見かけ上の質量と、表裏一体にある、あらゆる虚空間に確定=今)の連続を積み重ねる。しかし更なる概念(原子)に連続する未来と虚空間(相互作用単位量=時空間)を有さず、自己(素粒子=世界観)の外側にある世界観(更なる概念量に得るであろう、ひとつのもの=原子→分子→物体→生物)を認識することはできない。そして生物(概念)は、物体→分子→原子→素粒子という過去に在る概念を内界に有し(認識)、表裏一体に、今の宇宙という概念の総量に到達(完結)するまでの時空間(外界=未来と虚空間=相互作用単位量=すべての可能性を認識できず意識する)に稼働している。
すべての事象
(結果=虚構)は、原因(あらゆる概念=到達すべき、ひとつのもの=相互作用単位量=真の物量)の生み出す、結果の総量に到達しようとする相互作用量上にあり、そしてあらゆる意識は、今(質量という概念の認識=物体・事象=実存すると思えるもの)に在るのではなく、すでに存るであろう、相互作用結果量の総体(宿命=すべての可能性と同時に在り、ひとつの世界観に収束しようとする)に連続しているもの。
だから生物
(内界=結果量=過去の総体=今を認識し、相反して、外界=未結果量=未来と虚空間=生まれ出るであろう、すべての可能性=思う)は、自己(内界)が積み重ねた結果(機能という形)と、あらゆる外界に生まれ出た結果(機能という形の相互作用を有する総体=環境)を、到達するであろう意識相互作用を有した運命の総量=すでに在るであろう宿命=自己)の内界に見ることができる。
人間
(生物=今)を到達した概念(結果)と仮定(位置付け)すれば、内界に在る過去の総体(細胞→臓器)を同時に認識し、人間(生物=ひとつのもの=世界観)として在る。しかし仮に人間という概念(生命という形態)が到達すべき結果の総量に完結(世界観=ひとつのもの)したならば、更なる概念量(未来)と、表裏一体にある、更なる演算量(虚空間)を有さず、そして相互作用(意識)の連続はなく物質(存在=到達した今=無)となり、今に在る自己という機能という形を見ることはできない。自己が、今に存るというこを、今に存る者(自己)は知ることができず、存在させている者(自己)
か分からない。
道端に落ちている石ころは生物
の有する意識に、ひとつのもの(世界観)として認識される。しかし石ころの内界には、素粒子→原子→分子に完結しようとする未来と虚空間(生命の形態=相互作用単位量)が稼働している。素粒子も原子も分子も物体という石ころも、そして生物も、すべては自己(意識)の置かれた位置(自己という概念の認識=今)にある。
素粒子・原子・分子・物体という自己
(ひとつのもの)は、それぞれが単独である限りは更なる概念(進化)には生まれ出ることはできすに、同じ世界観のみで稼動する(2次元面の平行軸移動=積み重ね=加算=増幅=見かけ上の質量)。そして自己(結果=ひとつのもの=今)と、相対する、他者(結果=ひとつのもの=今)が相互作用(重力)に結合を得て、更なる答え(外界=更なる概念の認識=進化)に生まれ出ようとする。
※人間
(自己=意識の在る位置)が点画を見れば意識の内界に、ひとつという絵に収束(世界観)し、ひとつの点(自己=意識の在る位置)になれば、すべての他者(点の集積体=平行宇宙)が自己の外界に在る。大きな箱に小さな箱が入る。大きな数字の中に小さな数字がある。
すべては概念
(ひとつのもの)が更なる概念(ひとつのもの)に生まれ出る連続の積み重ねであり、更なる概念への連続の積み重ねがなければ、大きな箱も小さな箱も無く、大きな数字も小さな数字も無く、そして点画も無い。そして相対的な違いに在るという、歪(更なる、ひとつの結果を得ようとする=相互作用単位量=連続するもの、という意識)もないという、静止(終焉=ひとつのもの=無)するものに在る。

 

過去・今・未来

無限に連続する生(意識単位量)と、表裏一体にある、無限に連続する死(結果単位量)で一対(ひとつのもの=同時)の内界に、あらゆる知るを積み重ねようとも、無量(無限)の世界に、無いものと同じに在る。
そしてあらゆる知識を持って考えても、宇宙(原因=あらゆる自己を生み出そうとすもの)はわからない。しかし思えば、無量(無限に連続する分裂単位量=無限に増幅する相互作用単位量=意識の根源)は稼動し、あらゆる自己は、原因(宇宙=存在理由)と同時にある。

 

死=存在=今=無に到達し、表裏一体に、生=意識=可能性=未来に生まれ出る(無量=過去に在った意識到達した意識=認識=今未来に在るだろう更なる意識=無量
今という概念の総量に到達しなければ、更なる概念更なる今の内界に生まれ出ることができない。
死と死の内界に生がある、生と生の内界に死がある。生と、相反する、死で一対ひとつのものであり、生のみで生は無く、死のみで死は無い。
生と、表裏一体にある、死で一対に連続しなければ宇宙は稼働しない原理世界の内界にあらゆる在るものは死なない
過去に在る概念に完結(ひとつのもの=死=更なる分裂単位量を内在する=無量)→始まりの分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、質量という概念の前提に到達(1次元に完結=死)→更なる分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、質量という概念に到達(2次元に完結=死)→更なる分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、質量という概念の総量に到達(光の速さに到達した素粒子=3次元に完結=死)
更なる分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、増幅する素粒子の総体に到達(4次元に完結=死)→更なる分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、始まりの原子の総体に到達(5次元に完結=死)→更なる分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、元素の総量に到達(6次元に完結=死)
更なる分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、増幅する元素の総体に到達(7次元に完結=死)→更なる分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、始まりの分子の総体に到達(8次元に完結=死)→更なる分裂単位量(相互作用単位量=意識=生)に生まれ出て、分子の種類と数の総量に到達
(9次元に完結=死)そして完結(無=死)と、表裏一体にある、意識(更なる相互作用単位量=生)の連続の積み重ねに、更なる概念(物体→生物)に連続(更なる進化単位量)しようとする。
原理世界(無量=無限に連続する分裂単位量)に生まれ出た、あらゆる結果単量更なる進化に連続する概念)に本質的な死は無く、あらゆる到達した、死((今に在る概念に完結)、更なる概念の内界に稼働(生)している。
※生物を構成する、素粒子→原子→分子は、死(消失した意識=存在)にあり、更なる生物(意識)の内界で稼働する。死に到達せず意識(相互作用)の途中(無常)にあり存在に確定しないものには更なる概念を構成する前提にはなれない。そして過去と未来・前世と来生の内界に在り、相反して、過去と未来・前世と来生を見ることも触ることもできない(影響されない)とは、あらゆる今(自己)の自由な思いに生まれ出ようとするもの。


更なる次元に生まれ出る=進化=生命という形態原理世界に生まれ出た、あらゆる存るものは人間と同じもの
あらゆる次元に生まれ出た、あらゆる概念自己は、あらゆる次元の内界に連続し、無くなることはない。
あらゆる物質(物体)を構成する根源という素粒子(光の単位=質量という概念の総量に到達しようとする=重力・時空間の根源)は生命という形態(連続する意識)にあり、その延長線上に、原子→分子→物体→生物がある。人間が人間を基準として生命(生物)としているが、生命とは思えない道端に落ちている石ころも人間の作り出したあらゆるものも、素粒子(連続する意識)を根源にするもの。そして目的量(連続する意識)に生まれ出て、原因(存在理由)に還ろうとする、すべての宇宙(あらゆるひとつのもの)に共通する生命という形態を有している。
あらゆる今(自己)は過去の総体(相互作用結果単位量の総体=今)と、表裏一体に、今に在る結果単位量に内界に得た更なる相互作用単位量の総量(今=未来と虚空間=連続する意識)と同時に在るもの。そして多くの体験(答え)を自己の内界に積み重ね、多くの外界を見る(意識する)ことのできる魂(体験に得た答えの総体)に向かう。そして、この世を去る時、すべての行動結果の総体(答えの総体)として、次の原理世界(到達すべき概念=ひとつのもの=相互作用単位量=自己)の内界に生まれ出る(更なる概念=連続する意識の内界に認識される=存在した)
あらゆる自己を生み出す原因
(必要=思い=目的)の内界(未来と虚空間)に生まれ出て、到達すべき宿命(目的量)に還ろうとする。あらゆる、過去と未来の間に今がある。今の宇宙のみが宇宙ではなく。過去の宇宙も未来の宇宙も、表裏一体(同時)に在るもの。そして今の宇宙にある生命のみが生命ではなく、過去という宇宙にも未来という宇宙にも生命という形態(到達すべき概念)はある。

 

無量の内界に人間の在る位置はわからない

すべてが10進法に生れ出た分裂単位量の内界に進化するとすれば、10次元で物質宇宙に完結し、20次元で生物宇宙(あらゆるひとつのもの=自己が、物質量に増減の総量と、表裏一体にある、意識量に増減の総量という、ひとつの結果に在ろうとする)に完結し、それ以降の次元は物質(質量という概念)から遠ざかろうとする世界(分裂生物宇宙に連続し、あらゆる生物宇宙のひとつづつに物質の量は普遍にあり、相反して、分裂生物宇宙の総体の生み出す相互作用量=意識世界が増幅する)悟り=曼荼羅=物質と意識の増減の内界に在る人間からすれば神代の世界となるのかもしれない。
素粒子は原子を知らず、原子は分子を知らず、分子は・物体・生物を知らず、人間は更なる概念を知らない。しかし人間は更なる概念を想像でき、しかしその先には人間の想像もできない概念世界が連続する

仮に物質宇宙(10次元)に完結し、生物宇宙(11次元~13次元)に稼働しているとしているが、生物宇宙の前には有機宇宙(有機分子・有機物質・有機体=11次元~13次元)が在るとすれば、生物宇宙は14次元~16次元ということになるのかもしれない。今の宇宙に生まれ出た素粒子(質量という概念)には前の概念宇宙が前提に在るとすれば、また人間に到達するまでには、いくつかの概念宇宙が在るとすれば、人間がどの次元に位置しているのかは分からない。

※人間の在る次元に人間の感じる時間
(内界に得た時間=質量という概念、相反して、外界に到達すべき虚時間=未来)がある。そしてあらゆる単位(次元)の内界に結果量は加速度的に生まれ出て、相反して、在ったはずの虚時間は加速度的に減少する。そして連続する更なる概念(進化単位量=次元)の内界は加速度的に時間を要し、相反して、外界に加速度的に虚時間を消失する。そしてあらゆる生まれ出た概念の感じる時間は変わらない(あらゆる意識は今のみに在り、過去と未来との相対的な違いには無い=同じ概念の連続の積み重ね=普遍=ひとつのもの=原理世界=宇宙)

 

宇宙のしくみという考え方を前提に般若心経を解釈してみます(内容は変化し続けます)

■赤文字部分は花山勝友氏訳を引用させていただいています。

あらゆる存在するものは、ひとつのものに在る。あらゆる、ひとつのもの(存るもの)は内界に相対して一対(同時)の総体に在り、相対して一対(同時)にないものは存在すらしない。あらゆる存在(ひとつのものは)するものは外界(あらゆるひとつのものの相互作用を有する総体)に相対して一対になければ、自己(存在=ひとつのもの)に意識(相互作用量=未来と虚空間)は生じず、無いものと同じに在る。
そして結果
(今)に意識を置き質量(物質=無)を存るものとし、相反して、原因(目的量)に意識を置き未来と虚空間(無量)を存るものとする。しかし原因と結果は相反して一対(同時)にあり、あらゆる事象(存ると思えるもの=今)は意識の有り方により無限に変化する。
重力(相互作用量=物理的な力)に得た単位距離の連続の積み重ね(速さ)に、更なる相互作用単位量(進化)にまれ出る。しかしあらゆる進化(今)に生まれ出たものは、原因(目的量)という未来と虚空間(限りなく均等=同じものに在ろうとする)に到達したもの。
答えを得て疑問が生まれ出る。疑問を有さず答えは無い。自由(無量=無限に連続する分裂単位量=無限に連続する可能性)の内界に、今は不自由に在り、相反して、限りなく自由に在ろうとして、到達すべき答えの内界に、あらゆる疑問に得た、あらゆる答え(進化)を積み重ねる連続に在るもの(存在理由)